第3回 記憶障害とは忘却障害?

私自身、高次脳機能障害の患者さんの診察をしていて毎回、患者さん御自身や家族の方々から多くのことを勉強させてもらっています。

今回は「記憶障害」について少し書かせていただきます。

ものを憶えられない。今言ったことをすぐに忘れてしまうという「記憶障害」は高次脳機能障害の中でも頻度が高く、約90%の人々に見られます。

私が診ている高次脳機能障害の患者さんも全員がこの症状を有しておられます。

高次脳機能障害は、よく「見えない障害」であると言われます。

身体障害のように外見から分かる障害でないという意味で、他者から見て理解されにくいことを表しています。
一方、患者さん自身にも高次脳機能障害が見えず、高次脳機能障害によって引き起こされる誤りに気付いていないことがあります。

私が診ている患者さんも、この「気付き」の点で3つのグループに分けることができます。
①気付きが見られないグループ、
②気付きは見られるが戸惑っているグループ、
③気付きがあり、自ら工夫が見られるグループ、の3つです。

先日、くも膜下出血のために高次脳機能障害を持つようになったMさん(64歳)の奥さんと話をしていて面白いことを教えていただきました。
Mさんは典型的な高次脳機能障害の症状を有しておられ、先ほどのグループ分けでは①に属しており、高度の「記憶障害」を有しておられます。
「感情障害」も強く見られ、些細なことで激怒してしまい社会生活上問題となっていますが、本人は高度の「記憶障害」のために、激怒したこと自体を忘れてしまっており、「怒ったことなんかありません」と否定されます。
このMさんの奥さんが、リハビリなどの手順を教える場合に、初めから間違ったやり方を決して教えないように、大変気を使うとおっしゃっていました。すなわち、一度間違ったやり方を教えてしまうと、その間違ったやり方を忘れさせるのが大変で、新しいことを覚える上で大変な障害になると言っておられました。

学問的には学習した内容(情報)が減少・消失することを「忘却」と言います。

現在、「忘却」の説明としては、頭の中に形成された記憶は時間経過と共に薄れるという考え方(減衰説)と、複数の記憶が互いに干渉しあって消失し忘却するという考え方(干渉説)が有名です。「干渉説」をもう少し説明します。「干渉」には過去に学習した内容が新たに学習した内容を覚えることを妨げる「順向干渉」と、その逆に、新たに学習した内容が過去に学習した内容を思い出すのを妨げる「逆向干渉」があります。
たとえば、最初に会った人の名前を「田中さん」と記憶したのに、次に会った人の名前を「中田さん」と覚えると、最初の人の名前が「中田さん」になってしまうのが「逆向干渉」、この逆に、最初に会った人の名前が頭から離れず、次に会った人の名前が「田中さん」になってしまうのが「順向干渉」です。

まったく個人的意見ですが、Mさんの奥さんの話を聞いて、高次脳機能障害の人々の「記憶障害」の裏には、「忘却できない」すなわち「順向干渉」が大きく関係しているのではないかと思います。Mさんの奥さんの話を聞かせていただいて、「記憶の障害」の裏に実は「忘却の障害」が潜んでいるのではないかと思った次第です。

この記事の著者

  • 安井 敏裕先生
    専門:脳血管障害・高次脳機能障害
    大阪市立大学医学部卒 馬場記念病院脳神経外科部長、大阪市立総合医療センター脳神経外科部長、大阪市立大学医学部臨床教授、同志社大学社会学部社会福祉学科非常勤講師等を経て現在「クリニックいわた」、「梅田 脳・脊髄・神経クリニック」に勤務。
    日本医師会産業医、大阪医師会紛争特別委員会脳神経外科委員
  • 安井先生
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